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東京地方裁判所 昭和37年(行モ)19号 決定 1963年1月19日

申立人 尹秀吉

相手方 東京入国管理事務所 主任審査官

主文

相手方が、昭和三七年六月二二日付をもつてなした退去強制令書の発付処分にもとずく執行は、当裁判所昭和三七年(行)第一二九号退去強制令書発付処分取消事件の判決のあるまで、これを停止する。

理由

申立人提出の疎明資料によると、本件は処分の執行により申立人につき回復の困難な損害をさけるため、緊急の必要がある場合に該当するものと一応認められ、かつ、本案についても理由がないとみえるときに当らないと思料されるので主文のとおり決定する。

(裁判官 位野木益雄 田嶋重徳 桜林三郎)

申請の趣旨

一、被申請人が昭和三七年六月二十二日に、申請人に対して発付した退去強制令書に基く強制送還処分の執行は、本案判決をなすまでこれを停止する。

との裁判を求める。

申請の理由

一、申請人は韓国人であるが、昭和二六年四月十日頃勉学のため本邦に密入国し、昭和二七年九月東京大学理学部物理学科に研究生として、入学して理論物理学を専攻していたが、昭和三〇年九月同大学を中退して、民団栃木県本部に勤務していた。

二、申請人は、昭和三七年八月頃密入国の容疑で東京入国管理事務所に収容され、同月十二日入国審査官田中角司より外国人登録令第十六条一項一号に該当するものと認定されたので、右認定に対して口頭審理を請求したが、同月十九日特別審理官馬場順次から右認定に誤りがないと判定された。

三、申請人は、右判定に対し、即日異議の申立をしたところ、そのころ、法務大臣から右異議の申立を棄却され、同年六月二十二日被申請人から退去強制令書の発付を受け、現在長崎県大村市所在大村収容所に収容されている。

四、しかしながら、被申請人のなした右退去強制令書の発付処分は、次の理由により違法であるから取り消さるべきである。

(1) 右処分は、確立された国際法規ないし、憲法九八条二項、同十一条、十三条に違反して無効であるから取り消を免れない。

(イ) 申請人は申請外人亡趙庸寿の日本在留当時、同申請外人と親交を結び、その南北朝鮮統一の思想に共鳴して、その運動に熱心に協力し、同申請外人が昭和三五年四月韓国に民主革命が成功して帰国した後、民団栃木県本部書記長となるや、同申請外人の志を継いで南北朝鮮統一のために活溌な運動をしていたが、韓国に帰国した右申請外人が民族日報社を設立して民族統一を強く訴へた為に、昭和三六年五月成立した朴軍事政権によつて、特殊犯罪処罰特別法第六条の反国家行為を犯したとして、死刑の宣告を受けた事を知るに及び、その助命運動に奔走した。(同申請外人の助命運動が世界的な規模で行われたこと、然しその効なく遂に同申請外人が死刑に処せられたことは公知の事実である。)

申請人の前記行為は、朴政権によつて、昭和三六年六月に公布された特殊犯罪処罰特別法第六条(死刑、無期または十年以上の懲役)、同年七月に公布された反共法第四条(七年以下の懲役)、昭和三六年九月発布された集会臨時措置法第三条(五年以下の懲役)、に各該当することは明かである。

結局、申請人は、朴政権によつて政治秩序を侵害する者と目され、政治的意見を異にするが故に迫害される地位にあるもので、いわゆる政治亡命者ないし政治的難民というべきである。

政治犯罪人が亡命して来た場合には、その本国へ引渡しを行わず、入国を許して保護することは、確立した条約ないし、国際慣習法であるし(横田、法律学全集、国際法II一七六頁)、政治的難民を自国民と同様に保護すべきことは、今や国際的な慣習ないし通念になつている(一九四八年八月二十日成立の国連の国際難民機関、一九四六年十二月二十五日国連総会で承認されたIRO規約、一九五〇年十二月十四日国連総会で採択した国連難民救済高等弁務官規約、一九五一年七月成立の難民の地位に関する条約参照)。

そして、日本国憲法九八条二項は、確立した国際法規を遵守すべきことを命じているし、それは国際法の国内法的動力を定めたものとされている(法学協会、注解日本国憲法一四八一頁)。

よつて、政治亡命者ないし、政治的難民である申請人を、韓国へ強制的に送還する為になされた本件退去強制令書の発付処分は憲法九八条二項並に確立された国際法規に違反することは明かである。

(ロ) 又、申請人を朴政権下の韓国に強制返還するときは、同政権によつて、前記の様に、重罪に処せられることは明白であるにもかかわらず、敢て強制送還を命ずる本件処分は、人道に著しく反すること明かであつて、憲法十一条、十三条に違反する。

(2) 仮りに違憲の主張が認められないとしても、外国人登録令第十条一項の規定に基く本件処分は、裁量権の濫用があるから違法であつて取り消しを免れない。(東京地判昭28・10・1集四の10・東京地裁昭27(行)一四一号事件)

(イ) 申請人が本邦に密入国した動機には、同情すべき点がある。

申請人はソウル公立中学校(現ソウル公立高校)当時から日本留学を希望し、日本留学生試験に合格して、GHQからの日本留学の承認を待つていたが、不幸にも朝鮮動乱が発生し、合法的な日本留学は不可能になつた。

そこで、向学の念に燃えていた原告は、やむなく本邦に密入国したものである。

(ロ) 申請人は昭和二七年九月一日から、東京大学理学部物理学科に研究生として入学し、爾来三年間理論物理学を専攻して来たものである。

(ハ) 申請人は、今後引続き東京都立大学において朝鮮史の研究を希望しており、同校教授祺田巍氏も、右研究を推薦している。

(ニ) 申請人には、確実な身元引受人がある。原告の知人である申請外裴基鎬が原告の在留中の身元並に生活費、学費を保障することを約束している。

(ホ) 申請人は、前科前歴がなく、素行は善良であるから犯罪のおそれがないのは勿論、今後の研究によつて、その学識は更に深められて韓国自身にとつてばかりではなく、日韓親善の為にも大きな貢献をすることは明かであつて、在留を許可しても日本国の利益を害するおそれは皆無である。

(ヘ) 申請人を、今韓国に送還するときは、前述の様に、重刑に処せられることは明かであつて、人道に反する。

右の様な諸事情があるにもかかわらず、それを無視してなされた被申請人の本件処分は、裁量権の行使を誤つたか、ないしは裁量権を濫用したものであつて、違法であるから取り消を免れない。

(3) 仮りに外国人登録令の規定には、右の様な裁量が認められないとしても、本件処分の先決事項である、出入国管理令附則五によつて準用される、同令五〇条の法務大臣に対する異議申立を棄却した決定は違法である。

同令五〇条一項三号の特別在留許可の許否は、法務大臣の裁量によるが右裁決は法規に違反しているか、裁量権の濫用がある。

自由裁量にも自ら限界があることは通説判例の認むるところである。(学説、田中二郎行政法総論二九四頁、杉村敏正「裁量の濫用とその違法性」論叢59巻4号判例、最判昭29・7・30民集87一四六三頁)。

申請人には、(2)で詳述した様な事情があり右事情は特別に在留を許可すべき要件を具備していると解すべきであるにもかかわらず、原告の異議申立を棄却した法務大臣の裁決は、違法であり、右処分に基いてなした本件処分も従つて違法である。

五、申請人は、本件処分の取り消しを求めるため、昭和三七年十二月一〇日本訴を提起したが、申請人は現在大村収容所に収容されていて、いつ強制送還処分を執行されるかも分らない状態にあるが、もし送還処分が執行された場合には回復することが出来ない事態に立ち至ることは明かであるから右処分の執行の停止を求める。

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